この旅は、文章ばかりです。画像はほとんどありませんので、読んでくれる方、申し訳ありませんが、そこの所は、ご勘弁を…
今日は、7時26分発の新岐阜行きの急行に乗る。特急もどきの車両、1200系だった。間合いに使われていた。初回から好調だ。安心して座れた。しかも空いていた。定刻に一宮についた。
ここで折り返しの豊橋行きの特急に乗る。そのためにすぐに指定券を買う。パノラマスーパーが一宮に入ってきた時、指定席には乗客は全くいなかった。乗り込む客も余りいなかった。もちろん、足を前の座席に伸ばして、くつろぐことにした。久しぶりのパノラマスーパーだ。でも今回は一番前をやめた。さすがに静かだ。快適だった。名古屋からもあまり乗り込んでかなかった。
特急は速かった。途中、安城までは、120キロの壁は越えなかった。120キロ区間は清洲付近までと安城から先ということだ。途中本宿付近で減速があった。このときは全く苦にしていなかった。だいたい60キロ以下で走っている。名電長沢のあたりからパワーアップしたかのようにスピードをあげた。
しかし、この辺りに来ると、ずいぶんと山があるのだなぁとつくづく思った。なぜあそこで遅くなったのだろうか?私は、よく分からない。一般席は絶えず入れ替わりが激しいようだ。国府の駅にはかなりの客がいた。豊橋へ向かうのだろう。国府を出発して例のごとく飯田線と一緒になる。下地、船町を通過して豊橋についた。
ちょっと特急が遅れたのだろうか?予定していた豊橋鉄道には乗り遅れてしまった。豊橋駅も改装されてから行ったのは、初めてである。しかも豊橋鉄道の新豊橋駅はかなり遠かった。走れば、間に合ったのだろう。ちょうど列車が行ってしまった後だった。しかもステンレス車のロングシートだったのでまぁよかったか、とこの時は思っていたのだが、これで予定していた終着駅の三河田原へは行けなくなった。ちょっとショックがあった。
次にくるのは、名鉄のおさがり車両の転換クロスシートが来ると思って。ところが、次に来たのもさっきと同じステンレス車だった。仕方なく乗り込んだ。折り返しのためにかなりの人が降りていった。帰るときはこれくらい乗っているのだろう。ほぼ満席のまま出発した。柳生橋の近くに豊橋鉄道の車両基地があった。ここには、たくさんの名鉄のおさがり車両があった。この車両はまもなく廃車になるのだろう。もったいないことだ。
混雑した車内も大学前駅で降りていった。ここは愛知大学の目の前だった。高校生らしい生徒がたくさん降りていった。今日は大学の受験なのだ。ここで一気に減ってしまいほぼ空席になった。この辺りにくると、ローカルとなってしまった。途中の老津駅で折り返した。
ここに青色になった名鉄のおさがり車両があった。しばらくしていると、電車が来た。折り返しの列車もステンレスロングシートだった。ちょっと混んでいた。途中の南栄駅でまとまって降りた。3両編成だった。なぜか1両目だけが超満員であった。豊橋について一本早い特急には乗らず、定刻に選んだ特急に乗ることにした。特急の前に急行が先に出たがガラガラで出発していった。急行がいなくなり、すぐに特急が来た。今度は、一般席に乗った。初めから満席だった。しかし、最初に乗り込んだために余裕で座る事ができた。最初の停車駅の東岡崎では、入れ替わり乗車程度だった。11時に知立に着いた。
隣のホームから碧南行きの普通がきた。4両編成であった。もちろん通勤車だった。あまりこんでいなかった。知立から重原間と刈谷から刈谷市間が複線になっていた。所々にポイントの撤去跡があった。この辺りにくると一駅の区間が長かった。意外だが、結構家がたくさんあるところを列車は走っていた。そして電化の終点碧南に着いたのは、11時34分だった。碧南駅はちょっとした広い駅構内になっていた。
隣のホームに吉良吉田行きのディーゼルカーがあり、これに乗った。あまりこんでいなかった。車両は平成7年のものだった。碧南を過ぎるとすぐに架線がなくなっていた。スピードは平均60キロ位だった。最大で70キロだ。ほとんど架線の柱のみだった。駅には、旧行き違い駅があった。線路や架線は、ほとんど撤去されていた。踏切も懐かしいチンチンという音があった。矢作川の橋には、架線が残っていた。矢作川の川幅は広かった。海に近いのだろう。かなり長い橋梁であった。その後も単調な田園風景が続き、終点の吉良吉田には、12時02分に到着した。
ここで、特急券を買った。この駅にきて、驚いた事は、普通列車が西尾から蒲郡間は、通勤車なのにワンマン運転をしていたということだ。あの車両でワンマン改造されているのか?
しばらく駅を散策していると、3番線に特急佐屋行きが来た。新型の1600系を期待していたのだが…。なんと来たのは、パノラマデラックスだ。しかも切符をよく見ると、一番前の席だった。これは、違った意味でラッキーかと思って乗り込んだ。特急の終着駅の吉良吉田でDXから降りてきた客は5人もいなかった。
そして少ない乗客で、12時23分に出発した。久しぶりのDXだ。電車は線型が悪いのかかなりゆれた。あまりスピードは出していなかった。そして高架に上がった西尾駅では、たくさんの乗客が乗り込んだみたいだ。西尾を過ぎるとやっと100キロを出すようになった。ところでこのDXの展望席には、リクライニングが無かった。これが一番評価を下げるポイントだった。しかも前とのシートピッチがせまかった。一番前はちょっと失敗だったのか?足が窮屈だった。
そして新安城から名古屋本線に入ると、DXのスピードは最高110キロが限界だった。そして、名古屋を過ぎ、須ヶ口から入った津島線では100キロを超えることは無かった。藤波駅付近から高架の工事中をしていた。ここから津島駅までの高架化工事だ。余り快適にはならずに13時39分に津島に着いた。DXでよかったことは、前の展望席でちょっと違った視点で景色が見れたということだった。津島では、本屋の見物や買い物などをしたあとに待合室でしばらく休憩をして、尾西線に乗ることにした。
2両編成のクロスシート型の通勤車が来た。普通の一宮行きだ。そして14時01分に出発した。かなり空いていた。すぐに高架を下った。町方駅は、島氏永と似ていた。森上までは複線だった。なぜここが本数も少ないのに複線なのだろうか?森上からは単線になった。中間点の森上駅は大きな構内であった。ここで入れ替わりの乗降客があった。ここは、2面3線の駅であった。
ここから先、行き違い駅では、必ず反対列車が来ていた。途中の行き違い駅ではちょっと長めに停車していた。そして、余り混雑しないまま、14時30分に一宮に着いた。ここで岐阜行きの急行に乗った。ロングとクロスの2編成があった、通勤車であった。しかし、ロングシートではなく、固定クロスシート型に座った。終点の新岐阜には、14時45分に到着した。
ここで、各務ヶ原線に乗る。内海行きの急行ではなく、普通だった。三柿野までが普通で、そこから急行だった。特に気になったのは、4両分のホームしかない駅が多い事だった。そのために扉の開かない5両目に乗った。少しでも客が減るし、乗ってこないからだ。14時51分に出発した。
列車は、特に混雑はしなかった。かなり快適だった。そして、新鵜沼に着くと、乗客がたくさん並んでいた。しかし、ここで降りたので影響は無かった。ここで河和行きの特急に乗る。指定席を取った。今回は、一番前を選んだ。DXと比べたい為だ。いざ車内に入って気づいた事は、まずDXに比べてシートピッチが広いのが大きなポイントになった。だいたい2倍の広さだろうか?ゆったりしていた。展望席でもちょっと座席のシートが小さいが、リクライニングするのがポイントになった。
15時42分に河和行きの特急が出発した。すぐに木曽川を渡る。犬山橋が工事していたためにこの区間は、単線になっていた。時速は遅かった。昔に比べてみると全く違う雰囲気になっていた。道路とは確実に離れていた。橋を渡り、犬山遊園駅、そして犬山に着くと、かなりの客が乗り込んできた。ほとんどが名古屋までだった。犬山線は時速110キロが最高だった。
名古屋ではかなりの入れ替わりがあった。乗り込む客が多く、たちまち満席となってしまった。河和線は100キロが限界だった。知多半田あたりからは降りる客が多くなった。富貴を過ぎると、海が見えてきた。河和口駅は意外と寂しい駅だった。しかも無人駅だった。海が目の前だった。ここからは単線になる。
発車すると、すぐに家が無くなり木々に囲まれるようになった。しかもちょっとした山間を走る。スピードが遅いせいなのか、この区間の時間が長く感じた。そして、終点の河和駅には、16時57分に着いた。意外にも乗っている客が多かった。ここ河和駅には、観光客が多く、にぎやかであり特急が先に名古屋に着くことが、アナウンスされると、みなが指定券を買いにいった。そしてここで折り返しの特急に乗る。
17時16分発折り返しの新鵜沼行きの特急に乗る。観光の帰りの人が多かった。しかし、指定席は満席にはならなかった。この間は、勉強の時間にした。すでに外は暗くなっていた。名古屋本線にはいって途中の金山で降りた。ここで友人と会って築港線に乗る。
金山から常滑行きの普通に乗った。予想に反して、結構混んでいた。立ったままの移動であった。そして大江には18時11分に到着した。すぐに築港線のホームへ行く。5番線であった。なんと一番端のホームだった。渡る高架橋の上に築港線用の改札があった。そのまま素通りしていく。
18時20分頃に東名古屋港行きがきた。例の三両編成の通勤車。下のモーターは昔の電車の音だ。誰もいないのかと思っていたが、10人ぐらい降りていった。意外に多い。東名古屋港へ行く人は、5人足らずだった。18時25分に出発。モーターはとてつもなくうるさかった。さすが釣り掛け式モーター。余りスピードは出さずに18時28分に東名古屋港駅に到着した。
降りて線路の終点を見ようとした。すると、すぐ前は道路になっていた。その先はずっと続いているようだ。東名古屋港駅は中間点という感じだ。この駅から乗ってくる人もいた。何も無い小さな無人駅だ。駅名をカメラに撮り、席につくとすぐに出発した。18時34分大江に到着した。ホームには、鉄道ファンらしき人物が数人いた。彼らも見に行くのだろう。このファンらが乗る電車が今日の築港線の最終列車だ。
まだ時間があったので、駅の外に出て、エサを調達しに行った。しかし、ホームから改札口まではかなり距離があった。18時45分頃にまた大江駅に戻った。そして、よく見ると、築港線の改札口はシャッターが閉められていた。すでに今日は、営業が終了していたのだ。ホームに下りて、築港線ホームを見ると、まだ電車の明かりがついていた。
そして待合室で待っていると、普通の常滑行きがきた。白帯車のパノラマカーだ。やられた。あんな良い車両だったとは!もちろん、これには乗らずに先発の急行の常滑行きに乗った。通勤車のロングシート車の6両編成でしかも混んでいた。18時56分出発した。
太田川で2両を切り離した。常滑線に入ってからの客は、まとまって降りていく。終点の常滑に来ると、半分に満たない乗車率だった。常滑には19時32分着。駅を出て、しばらくはウロウロしていた。そして、何も無いからホームへ戻り、折り返しになる御嵩行きの急行に乗った。常滑駅は、2面4線のホームだった。しばらくすると、さっきに大江で抜かした普通が到着した。ここでやられたと言う意味が分かるだろう。普通に乗っても折り返しの御嵩行きに乗れるのだ。後悔しながらもパノラマカーの折り返しは何行きになるのかチェックした。なんと佐屋行きの普通になっていた。そして19時50分常滑駅を離れた。
全く客はいなかった。このロングシート車で役に立った事は、時速の電光板が見えたことだ。常滑線は、だいたい時速90キロ代のスピードで走っていた。最高は時速100キロを少し超えるくらいだ。乗客が少ないまま、20時10分に太田川に到着した。すぐに乗り換える内海行きの急行が来た。結構混んでいた。
20時13分内海行きは、出発した。通勤車だった。どうやら当たりの車両がなかなか来ないようだ。ロングの部分に座る。知多半田の辺りに来ると、スピードが落ちた。おかしい。夕方の特急の時は、ハイスピードで走っていたのに、これで遅れになってしまった。半田を過ぎると半分くらいの乗車率となった。富貴には20時40分過ぎに着いた。やはり遅れた。乗り換える河和行きの普通は2両編成、内海行きの急行からは、半分が降りて河和行きに向かう。
すぐに内海行き急行は発車した。そして河和行きは、乗客が乗り込むのを確認して、しばらくたって扉が閉まった。3分の1の乗車率だろう。これも通勤車でオールロングシートだった。布土で少し降車客があった。さすがに乗る客がいなかった。河和口駅に着いた。遅れていたので、終点の河和駅にいくと、折り返しに失敗する可能性があるので、ここで降りた。10人くらい降りていった。
この駅はかつては反映していたのだろうか?改札口のゲートがたくさんあった。しかし、それらは古びていた。海が近く波の音が聞こえそうだ。それにしても何も無い闇だ。すぐに列車は河和口から離れた。そして反対のホームに行った。誰もいない寂しい駅。ここがかつての終着駅。それを感じさせないようになっている。
まもなくして特急の河和行きが来た。パノラマスーパーだ。客は、余りいなかった。ここから単線になるために立ち止まっていた。ここがネックなのだろう。折り返しに乗る新鵜沼行きの急行が来ないのだ。河和行きの普通が遅かったから仕方が無いのだろう。2,3分特急はこの駅で停車していただろう。まもなくして踏切が鳴り、急行が来た。車内はガラガラだった。ホームが寒かったために列車内が非常に暖かい。まるで天国だ。すぐに富貴に到着した。
隣の知多新線のホームへ行く。普通の内海行きが待っていた。2両編成のクロスシート型の通勤車。まだ乗り換えにたくさんくる河和行きがきてないためにガラガラだった。誰もいない。すぐに急行が来た。かなりの客が降りたようだ。たくさんの客が内海行きに乗り込む。といっても満員になることは無かったが。そしてすぐに出発した。
次の上野間までの区間が長いために、ここで車掌が切符を回収しに来た。何でだろうか?もう知多新線にはこの時間には、どこの駅にも駅員がいないのだろう。乗客は少しずつ降りていく。終点の内海には、21時25分に到着した。ここで指定席を買おうとしたが、内海駅もホームを降り、改札口に行くと、案の定無人になっていた。しかもさみしかった。昔の賑わいが無い感じだった。どことなく、むなしかった。
すぐにホームに戻ると、客は、2,3人しか待っていなかった。ホームの中央に乗務員室があった。5人くらいがいた。特急と普通に乗る乗務の人だろう。なんの合図も無いまま、特急が来た。新鵜沼行きの特急だ。降りてくる客は全くいなかった。乗る人もほとんどなく、21時37分発車した。
もちろん一番前の展望席をとった。外は暗いのだが、前の展望ははっきりと見えた。知多新線内は100キロを出なかった。乗る客もこの時間では少ないようだ。またシートピッチも広いからずいぶん快適だ。河和線に入ってもスピードは110キロに達する事は無かった。あと、夜なのかミュージックホーンは鳴らしていなかった。警笛も心なしか遠慮がちだ。快適な旅も金山までで、ここで降りることにした。金山での急行を待つ時間は長く寒かった。